左利きの矯正 〜 億夫の場合 〜

左利きの矯正 〜億夫の場合〜:Force Right-handedness -Okuo's Case-

夫・億夫はもともと左利きだ。小さい頃、右に変えるよう親に躾けられたそうだ。最近はどうか分からないが、昔はそういう親が多かったと思う。私の幼馴染も最初は左利きだったが、右利きに直されていた。世の中の物ほとんどが右利きを想定して作られているから、将来的に色々不便だろうと子供を案じてのことだ。

夫は、矯正されたお箸や筆記用具は右手を使い、それ以外は自然に任せて左手を使っている。私は「左利きで不便なことって、そんなある?」と尋ねた。彼は、改札のICカードをタッチする所や自販機のコイン投入口など、左利きだと微妙に使いにくい物を次々と挙げた。右利きの私は、当たり前に使っていて気付きもしなかった。確かに、どれも腕を体の前で交差させる様な動きが付きまとう。常に左手からは「遠い」。地味に面倒くさい。

矯正されたことに関して、夫は今も不満気だ。この話になると「自分は本当に良い育て方をしてもらったと思ってるけど、これだけは、よくぞこんな余計な事してくれたなと思う。」と、いつも言っている。今はもう慣れて普通に右手を使えるが、それでも利き手じゃない方を無理やり使っているせいで脳に負担がかかっているのを薄っすら感じるそうだ。

学生の頃、彼はデッサンを習い始めた。何となく左手で絵を描いた時、こんなに抵抗なくスムーズに自分の思い通りの線が描けるのかと驚いたという。何かを全く同じ大きさに分けて切るだとか、形を左右対称にするだとか、そういう精度を求められる作業をする時に、利き手以外を使っているデメリットが顕著に出るそうだ。丁寧に同じ大きさにしたはずなのに、後で見ると微妙に違う。なぜか左右非対称になる。左手だと思い通りになるのに。左手を使う時は何も考えなくて良いから動作がスムーズだが、右手を使う時は何か無意識にワンクッション置いて考えて使っている様な、微妙な違和感があるらしい。些細なストレスかもしれないが、長年それを積み重ねていることが不憫に思える。

一時期、だったら左に戻してみてはどうかと、試した時があった。さすが、もともとの利き手だけあって、左手で上手にお箸を使ったり、文字を書いたりしていた。しかし、しばらくして止めてしまった。右手左手の問題ではなく、習慣を変えることもまた混乱を招くらしい。長年の癖で、ついとっさに右手でお箸やペンを持とうとしてしまうのだ。慣れるまでの時間を思うと、もう右手でいいや、となった。

彼は、もし自分の子供が左利きだったら、誰が何と言おうと絶対に矯正はしないと断言している。私もそれには賛成だ。彼の話を聞いていると、右利き用のものが使いにくい事より、矯正によるブレインダメージの方がよっぽど深刻に思えてくる。